著作権を主張することの必要性

自分の書いた文章に著作権や著作者人格権を主張することは非常に重要なことだと考える。著作権や著作者人格権に於ける各種権利を主張しないことによって、他者(誰)にあらゆる許可を与えることは非常に危険であるからだ。

何が危険であるのかを簡単に説明しておこう。他者(誰)にあらゆる許可を与えるということは、改変したものを再配布することも許可する訳だが、その際に改変したことを明示せず、文責があたかも原作者にあるように再配布することが可能であるという点だ。つまり、僕が仮にそのような許可を他者(誰)に与えた文章を公開した場合、僕の主張とは違う内容が書かれたものが、僕に文責があるように思える形態で再配布されるということである。これは、著作者自身にも、その(どの)改変された文章を読む人物にも不幸なことであると考えている。

この問題を解決する方法は容易である。改変したことを明示せずに文責があたかも原作者にあるように再配布されることが問題なのであるから、それを禁じれば良い。禁じることによって、悪意のある人間に、合法的に嫌がらせをされる可能性を無くすことができる。問題が起こった場合にどのように対処するのか、或いは対処しないのかはその都度決定すれば良い。

徳保隆夫さん(誰)は、備忘録2003年09月06日 著作権の侵害に目くじらを立てる人々において次のように書いている。

私は、つまらない悩みを解消するという意図も込みで、著作権を主張しませんという宣言をしています。三宅さんがおっしゃるように、WWWで著作権を厳密に保護するのは困難であり、まじめに取り組むと労多くして実り少なしという現実に悩まされることになります。WWWへ情報を公開するならば、ある程度の著作権侵害はどうしても防ぎようがないのが現実です。そこに、コペルニクス的転回が誕生する余地があります。最初から著作権侵害を認めてしまえば、問題は根本的に解消され、悩みがなくなるじゃないか、というわけです。著作権を守ったところで物質的な利益は何もないわけですから、頭を切り替えて精神的負担を解消した方が幸せになれるのです。

「WWWで著作権を厳密に保護するのは困難であり、まじめに取り組むと労多くして実り少なしという現実に悩まされることになります。」という話は同意できる面もある。しかし、著作権や著作者人格権の権利の行使を放棄することよって、先に挙げたような問題が起こり得る。これは、「つまらない悩み」が新たに発生する可能性があるのではないだろうか。必要なのは、完全に権利を行使しないのではなく、何を許可し、何を許可しないのかを熟考することだと思うのだがどうだろうか?

もちろん、そのような危険性を知った上で著作権や著作者人格権の権利の行使を放棄することも自由であろう。自分の著作物に対して、どのような利用許諾を付けるのも自由である。当然「引用禁止」など、書いても無意味なものもあるのだが。

Sophismeさんからコメントが。 僕の主張に関しては、大体は仰るような解釈で良いです。 若干の修正を加えるならば、「A が自身で書いた文章 a について同一性保持権や氏名表示権を含む各種権利を行使をしないと明言したならば、B が a を改変した別の文章 a' の文責は A にある、と誤解を与えるような改変を B が行うことは著作権法では合法である。」ということです。 ポイントは、明示的に許可を与えるという点でしょうか。 明示しなければ著作権法の内容が優先されるでしょう。 もちろん、改変内容によっては別途の問題が発生する可能性があるとは思います。

著作権法だけで解釈するということは、ある意味視野狭窄で愚かなことでもあるでしょうが、だからといって、わざわざ悪意のある行為を著作権法内では合法ということにしてやる必要もないと考えています。

また、悪意が無い場合でも、自分の主義主張ではないことが、自分の文責で出回る可能性があるのは避けたいという気持ちもあります。 別に自分の文章が素晴らしいと思っている訳ではないのですが、そのようなものが出回る可能性を避けるようにすることは、情報発信者としての読者(誰)への責任でもあると考えています。

改変や再配布を許可したいならば許可すれば良いでしょう。 しかし、無条件に許可するのではなく、何らかの条件を設けた方が良いと考えます。 例えば、「改変、再配布は自由です。しかし、改変した場合は改変者の名前を判り易い場所に明記した上で、改変前の文書を入手元を記載してください。改変点まで明示していただけるならば幸いです。」などという条件にすればよいのではないでしょうか。

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許可する範囲と許可しない範囲

yuu (Sun Sep 7 18:15:58 2003 JST)

自分の言葉で書かずに、何らかのライセンスを適用するような表示に変えたほうが良いのかもしれませんね。何が適当なのかどうか、その辺ちょっと調べてみるようにします。 徳保さんの意見には同意する面もありますが、僕もやはり岩井くんと同じように考えているところもあります。というか、一番むかつかなくて良いようにするためには、公開しないというのがあるでしょうね。例の元原稿でいえば、雑誌自体を読みさえすればそこに載っているのですから。それをわざわざ公開しているのは、ひとえに、より多くの人が簡単に読めるようにするためなのであって、ウェブという媒体の利点を生かしたつもりなわけです。で、ウェブ上のものでも誌面上のものでも著作権的にはというか使用条件は何ら変わらないわけですが、ウェブでは簡単にコピペで転載とかできてしまうというのがポイントなのでしょうかね。簡単に、というところが。まあコピペしたいならしろよって感じですけど。もちろん自己責任でね。

改変後の文章の文責が誤認される点について

ろばQ (Mon Sep 8 01:27:01 2003 JST)

>文責があたかも原作者にあるように >再配布することが可能であるという点だ。 自分は、自分のサイトでの発言の著作権の排他的権利を殆ど全部放棄している(少なくともそのつもりでその様な立場を表明をしている)者ですが、別段「自分の名前を勝手に名乗っていい」「貴方(改変者)の発言を自分(ろばQ)の名前で行っていい」とはいっておりませんし、それらに関しては著作権とは別の範疇と認識しております。 引用者、あるいは改変者の無知あるいは悪意からその様な事故または事件が起こる可能性は否定できませんが、その可能性に関しては著作権法の放棄或いは転載、改変、再配布などの許可とは別な次元の問題であると考えています。

Re: 許可する範囲と許可しない範囲

いわい (Mon Sep 8 02:10:59 2003 JST)

別途定める既存のライセンスで適切なものがあればその方が反発は少ないでしょうねぇ。ただ、出版権のあたりの要件をクリアしているものがあるのかは知らないです。また、平坦な文章の方がわかりやすいという点も見逃せないところなのでいろいろ難しいかも。あと、公開しないと反発がないというのはまったくもって同感なのですが、折角なので残念だなぁ、と思います。業界(何処)的に。僕自身に関してはどーせ雑誌の方で読むので構わないのですが。

Re: 改変後の文章の文責が誤認される点について

いわい (Mon Sep 8 02:16:42 2003 JST)

改変は「同一性保持権」、リソースへの著作者の表示に関しては「氏名表示権」、再配布は「公衆送信権等」といずれも著作権及び著作者人格権に含まれる権利であるため著作権法の範囲でしょう。別の次元の話にもできるかもしれませんが、著作権法の範囲に於いても自分が望まない利用方法に関しては制限した方が望ましいはずです。「許可しているじゃん」とか言われると面倒じゃないですか?事実、そのような利用に関して暗黙的に許可をしているんだから。

氏名表示件?

ろばQ (Mon Sep 8 10:16:43 2003 JST)

正当な著作者の名前に関する「リソースへの著作者の表示に関しては「氏名表示権」」だと思いますが、本件の場合、著作者でない人の名前を勝手に使うこと、であり、これは著作権法の範囲とはちがうのでは? と言うのがろばQの意見です。 たとえば、既に著作権法の保護下に無い故人の作品を第三者が故人の名前のままに勝手に改変して、或いは第三者による完全な新作を故人の名前で発表する事は著作権法とは別の問題として出来ないのでは? と言う認識です。 また、一旦WWW上に発表され、後に著作権が放棄された作品はその段階で公知の物となり、後に第三者がこれを自作とすることはできないはず、とも認識しております。 ただ、上記の法的な解釈はさて置き、「この問題を解決する方法は容易である。改変したことを明示せずに文責があたかも原作者にあるように再配布されることが問題なのであるから、それを禁じれば良い。」と言う対応でこれらの懸念を払拭する事ができるなら、やって損はない、と言うか寧ろ推奨される、と言う点に関してはその通りだと思います。

Re: 氏名表示件?

いわい (Tue Sep 9 06:58:00 2003 JST)

改変を許可した場合、条件を付けない限りは、改変の際に改変したという事実と改変者自身の名前を明示する*必要*はないと考えます。また、『既に著作権法の保護下に無い故人の作品』の件は著作者人格権の氏名表示権の侵害ですね。著作権は死後一定期間後に消失しますが、著作者人格権は消失しないはずです。あと、公知なものはダメというのは特許の話であって、著作権としては、既存の著作物の存在(内容かも)を知らない人が同等のものを作成した際には著作権が発生するはずです。

理解できました。

ろばQ (Tue Sep 9 17:00:35 2003 JST)

お手数をおかけしましたが、著作権は兎に角、著作者人格権をも放棄した場合、自らのサインを第三者が利用可能にしてしまい、且つ、責任は元のサインの持ち主の物となる可能性に関して納得でしました。 また、前項の著作権が消失した故人の例えは、例えとして不適切でだった事、更に、公知の物に関しては「特許の話であって」とのご指摘の通りで、当方の勘違いだった事に関してお詫びします。失礼しました。